1985年度筑紫野中学校同窓会生諸君へ
同窓生の皆さん、お元気ですか?
懐かしいメンバーだな。
今でもそちらに飛んで行き、挨拶をしたい気分ですね。
君たちの思い出は沢山ある。特に私が筑紫野中学開校から8年目で
転勤する年の卒業生だからである。
尚一層、感慨深いものがあるのだろう。
体育祭では神輿を担いで、太鼓を鳴らしながら運動場を祭りにして、
大いに盛り上がり、保護者の方々も大いに楽しんだね!
とにかく行事は皆が徹底してやり通した学年だったね。
それから、私の社会科の授業で脱線・世界旅行記をよく聞いてくれたな。
こちらもすぐにその気になって、中国やヨーロッパの旅行話を飽きもせず話た。
いや、これは立派な地理の授業でありました。
時には脱線してお笑いになったこともありましたが。
これを書きながら授業でのことを思い出しています。
忘れ物をした連中はよく背中をたたかれていたな。
これは叩いたのではありません。
忘れ物をしないように気合いを入れていたのです。
この発想は、禅寺に行って、雲水から棒で背中を100発以上叩かれて、
何回も目が覚めたことにヒントを得て、
行ったことでありまして、神聖なる指導方法であったことを
今、説明をしておきます。
決して体罰などという暴力的なものではなかったことをご理解ください。
あの時は私の手も痛かったのでありますが、
それはかわいい教え子の為に、
敢えてその痛みを我慢と忍耐で行ったことを改めてこの場をかりて
語るものであります。
さて、君たちに社会科で口癖のように言っていたことを覚えていますか?
古賀先生!生徒に聞いてください。
何人、私がいつも「将来は必ずせ〜よ」と言っていた事を知っているか
手を挙げさせて聞いてみてください
知っているかなあ
一人でもいたら嬉しいですね
「将来は必ず海外に出よ!」と言っていました。
その後に「海外から日本を一度見てみよ
日本が違って見えるから。
そうすると、自分の生き方がおのずとわかってくるから」
と語っておりました。
覚えているかな
さらにその後に
「私は必ず、海外で教師をする」と約束をしておりました。
どれくらいの生徒が覚えているかな。
君たちとの約束はまだ破っておりません。
現在はカナダの
トロント補習授業校で
校長をしております。
補習授業校とは土曜日だけ日本語で
国語、算数、社会、理科を教える学校です。
幼稚部から小学部、中学部、高等部まで全部で470名います。
彼らは平日はカナダの現地校に通い、英語は堪能です。
私は英語はできません。
なかなか英会話は難しいですね。
しかし、3年後に帰国する頃には
少しは話せるようになっているかもしれません。
そんなことはどうでもよいのですが
トロントの学校だより
「
トロントの風」に毎週インターネットで掲載しています。
一度開いて読んでみてください。
内容は稚拙ですが、少しは学校の様子を
知ることができるかもしれません。
ところで、再度、君たちに言いたい。
世界に飛び出し、将来の日本を背負っていきてほしい。
私の目的は、世界に通用する日本人育成である。
今も変わらない。
このままでは日本の国力はますます低下しいく。
大きな志をもって日本国、日本人の為に活躍してほしいのです。
君たちはまだ若い。
君たちの歳に私はロンドン日本人学校に派遣された。
イギリスで目が覚めた。
世界は広い、当たり前のことだが、自分のやりたいことをやってみよ。
今、61歳、来月で62歳になる。
しかし考えている事は30歳の頃の気分です。
歳をとっても成長がないな!と実感している。
その意味では、万年の「青春時代」である。
何となく、自分に酔ってきたようである。
酒も飲んでいないのに、皆の雰囲気に呑まれて、
酔いが回ってきたようである。
あまり醜態を見せないうちに筆を置いたほうが、
かっこよく終わることができるかな。
それでは諸君、また、会いましょう。
今度は本当に酒を飲みながら語りましょう。
平成22年12月2日
「学校づくりを夢見る教師より」
矢木 信男